「プロトコル」が医師と他職種の境界を曖昧にしていると思う

以前とあるナースに「『抗菌薬を止めるタイミングのプロトコル』がないからどうしたらいいかわからない」と言われたことがある。当時私は、「5日、7日、などキリのいいタイミングと患者さんの状況と培養結果などを総合して判断する」と答え、なぜそんな自明なことを聞くんだろうと疑問に思っていた。

しばらくして同じひとに、今度は「他科の依頼で対診した時は何をみているのか。プロトコルがないからわからない。」と聞かれた。また質問に少し困惑しつつ、「まずは対診理由を確認して、患者さんの現在治療中のがんと治療内容と抗がん剤なら最後に抗がん剤治療を受けた日を確認して、それから主訴と現病歴とその他既往歴と入院時の診断をみて、既往が複雑そうなら一応外来カルテも参照して、それからバイタルサインと採血結果と画像検査結果と培養各種結果を確認して、入院後に処方されている抗菌薬や定期薬などを確認して、それから患者さんを診察して考える」と答えた。

この質問に答えながら、もしかしたら私たちは同じ業務をしていても結果に至る過程が違うのかもしれないと思った。SHOレベルの医師が下す「臨床判断」には、最低でも5年の医学部と1年の初期研修の下積みがある。一方で、医学部を出ていないスタッフの「臨床判断」は、かなりプロトコルに依っているところがあるのだと思う。

NHSの病院は院内ガイドラインが充実している。院内イントラネットに接続すると、日常で遭遇するあらゆる疾患を網羅しマネジメントが簡潔に記されたフローチャートやガイドラインが出てくる。こういうのを彼女はプロトコルと呼んでいるのだと思う。

プロトコルの良い点は質の担保だろう。誰がやってもフローチャートの矢印に従ってさえいれば同じ結果に至る。最近、八雲の病院で高血圧女性に経口避妊薬を処方し続けて重大な副作用を合併したとして裁判になった例を読んだが、こういうのはイギリスではまず起こらない。イギリスのGPが経口避妊薬を処方する時にはまずチェックリストにある項目を全て確認され、その後も半年から1年に一回ごとにチェックリストの内容に変更がないか再確認をされる。これは口頭ではなくオンラインの質問表で確認されることもある。この一連の流れが「プロトコル」としてGeneral Practiceでは浸透しているので、経口避妊薬の処方は正直医師がやる必要はないようにも思える。

これと同じことが、プライマリケア(GP)でもセカンダリーケア(病院)でも、あらゆるコモンな疾患に起きているのがイギリスの現状だ。

おそらくこういうプロトコルやフローチャートにより、NHSでは「医師ができることはトレーニングを積んだ〇〇(任意の医療職)でもできる」という認識になっていて、これが医師と他職種の境界を曖昧にしていると思う。

これを突き詰めた結果が、スコットランドでナースが腹腔鏡下胆嚢摘出術をしていたケースだろう(Non-surgeon removed gall bladders at hospital)。外科医が医師でなかった時代の再来である(イギリスでは手先が器用で刃物の扱いに慣れているということで昔は理髪師が手術をしていた。その伝統で今でも外科医はDrではなくMr/Missと呼ばれ、「苦労してDrをやめた」というのが外科医のジョークになっている)。

この考えについて知り合いの医師に話すと、その医師はプロトコル化の弊害を直接経験したひとで、個人的な経験を話してくれた。先生のお父さんがお風呂で意識を失った時に、お母さんがパニックで電話をした先がプロトコル化されたヘルプライン(たぶん111)だったようで、「夫がお風呂場で倒れました!」という高齢の女性に、「唇は青いですか?」と聞きお風呂場まで確認させに行き、「痛み刺激に反応しますか?」(これは一般の人にはもちろんわからないので「どうやって痛み刺激を与えるんですか?」という質問もついてくる) と質問してまたお風呂場まで確認させに行き、これを何度か繰り返した末にやっと救急搬送となったようだ。999に電話していればすぐに搬送となる案件だが、一般のひとでは999に電話するのは敷居が高いのだろう。

最近ニュースになった、虫垂炎からの敗血症で9歳の子どもが亡くなった事件もまた、プロトコル化の弊害とも言えるように思う。111のスタッフがチェックボックスに「間違えて記録」したのが、他のいかにもNHSらしい複数のミスと重なって起こったことで子どもは最終的に死んでしまったのだが、111のスタッフに医学的知識があれば、または999に電話していれば、チェックボックスの記載ミスなくすぐに救急車が必要だと判断された案件だと思う。

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医師の就職難はやはり変わらず、この頃はなんと夏から研修医をはじめる予定の英国大卒医学生ですら職がないことが結構話題になっている。医学生に職を与えられていないDenearyが、なんとPA学生には職を与えており、しかもカリキュラムが医師のそれと同等ということで大炎上していたのだが、1ヶ月経った今も状況は変わっていない。

医師の就職難を引き起こしている原因として今一番問題視されているのはPAで、PA雇用拡大にかんする大規模なバックラッシュが起きている。PAと医師の政治的な闘争は日に日に激化しているがこの頃は状況に少し希望がみえはじめたようにも思う。

トレーニング中の外科医の団体ASiTは非医師が手術をすることに反対する声明を出したし、UKの内科医が所属しなくてはならないRoyal CollegeのひとつRoyal Colleges of Physicians Edinburgh もまた、PAの拡大に強く反対する声明を出した。RCPEdinのはかなりパワフルで、PAが医師のトレーニングの機会を奪っていること、医療安全を蔑ろにしていること、などに加えて、Physican’s Associatesという名前をPhysician’s Assistants というかつての呼称に戻すことなども推奨している。PAが医療安全への危機であることに警鐘を鳴らした医師が、PA団体のトップから嫌がらせで警察とGMCに通報されたケース(最終的に無罪と判定されたものの一連のプロセスが非常にストレスフルだったそう。イギリスでは過失がないのに嫌がらせ目的で医師をGMCに通報することはよくある)では、昨日からこの医師がこのPAを訴訟するための募金集めを開始し、1日も経たないうちに目標金額を集めることができた。

BMAはPAができること・できないことについてのガイドラインを作成し、またPAには常に監督する医師がいなくてはならないことや、若手医師はPAを指導しなくて良いこと、PAを雇うコンサルタントは医師賠償保険の保険金納付先にPAを雇っている旨を知らせなくてはならないこと、などを明記した追加のガイダンスも発表した。これを受けて病院単位ではPAのトレーニングや雇用を一律中止するところも出てきた。

メディアにPAが取り上げられることも少しずつ増えてきている。この調子で状況が一転すれば良いのになあと思う。

参考:イギリスでは医学部を出ていなくても誰もが「医師のように」働くことができる↓。手術はもちろん、乳幼児の挿管をするのにも医師である必要はないし、なんならとある病院では2040年にはICUを全て専門看護師だけで運用する話も出ているようだ。ACPやACCPは看護師出身なのでPAとは比べ物にならないほど知識や専門性がある存在で、診療に必要不可欠な存在ではあるのだが、それにしても入試から卒業までずっと大変な学部での勉強や卒後トレーニングや合格するのが大変な卒後も次々とやってくる試験をくぐり抜けてきた医師が就職難で困っている中で、(国の政策で)病院が医師ではなく彼らを優先して採用しているのがなんとも悲しい。

Author: しら雲

An expert of the apricot grove

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